小説『マチネの終わりに』感想。

福山雅治と石田ゆり子主演で映画化されることになり話題となった本作を、僕は友人から勧められて読むことになった。その友人は以前『ボクたちはみんな大人になれなかった/燃え殻』を教えてくれて、その全体的に漂う哀愁さが、僕好みの小説だった。感性が合う友人に本を勧めてもらうのは嬉しい。

その友人が勧めてくれた『マチネの終わりに』。著者は平野啓一郎。平野さんの作品を読むのはこれが初めてだった。

豊富な語彙や繊細な文章、ハッとするような比喩で綴られるラブストーリー。安易にラブストーリーと言ってはいけないのかもしれない。これはたった三回しか会わなかった男女の、海のように深い愛の物語だった。そして僕にとってもそれは棘のように胸をチクリと刺してきて、二度と抜けないような痛みも伴っていた。

あらすじ

天才クラシックギタリストの蒔野聡史(まきのさとし)と国際ジャーナリストの小峰洋子(こみねようこ)。四十代という”人生の暗い森”を前に出会った二人の切なすぎる恋の行方を軸に、芸術と生活、父と娘、グローバリズム、生と死などのテーマが重層的に描かれる。

キャッチコピーは「たった三度会ったあなたが、誰よりも深く愛した人だった──」。

内容についてはほとんど知らなかったのでこの情報だけ見た上で読んだのだけど、少なくとも二人はたった三度しか会っていないということがわかる。そして誰よりも深く愛した人だった。と過去形で綴られたコピーからは、二人は結ばれなかった?或いはどちらかもしくは双方に、何かしら重大な事情(たとえば”病気”や極端にいえば”死”)があった?といった推測をした。

難病にかかって余命が僅かだとか、そういった物語はこれまでたくさん見てきたけれど、しかしこの作品はそういった類ではなかった。

※ここからはネタバレを含むので未読の方はご注意いただきたい。

この小説は序文に加え、第一章から第九章までで構成されている。文庫本で460ページほどの厚みのある小説だが、二人の最初の出会いは第一章「出会いの長い夜」であり、この章はわずか15ページしかない。しかし、この夜の出会いは二人にとってこの後何度も回想されるほど特別な夜だった。蒔野の「デビュー二十周年記念コンサートツアー」最終公演後に二人は出会い、惹かれあった。

洋子は蒔野のコンサートを20年以上前に一度見ていて、その時二つ年下でありまだ高校生の蒔野の才能に嫉妬するほど感動している。また、洋子は何か国語も習得している優秀な国際ジャーナリストであり、蒔野がギターを好きになるきっかけだった映画『幸福の硬貨』の監督であるイェルコ・ソリッチの娘でもあった。

そういった互いに憧れのような感情を抱く背景があり、二人は当然のように惹かれあった。その時の蒔野の印象的なセリフが以下である。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

この言葉が好きだ。そしておそらくこの小説を好きな人はこの蒔野の言葉を好きだと思う。「未来は過去を変える」という言葉は、暗い過去を明るく変えられる前向きな言葉にもなるし、もちろん逆のネガティブな言葉にもなりうる。それくらい過去は繊細なんだ。普段思っていたわけでもないけれど心のどこかにあったような感情が、うまく言語化されている言葉だと思った。

蒔野と洋子は、ユーモアと深い教養により相手を理解し合える運命的な関係だと感じ合った。この人に出会うために今までがあったんだと思うほど、感情は高まったと思う。

洋子には婚約者がいたが、二回目の出会いで蒔野から告白を受け、そして蒔野を選んだ。目と鼻の先まで決まっていた結婚を破棄して、たった二回しか出会っていない蒔野を選んだ。もしその婚約者の立場でこの作品が描かれていたならば、そんなことは許せない!と憤慨していたかもしれないが、しかしこの洋子の決断を否定することはできない。

進もうとしていたのは昔から知った仲でありもう情熱といったものは湧かないが、平穏な結婚生活が続きそうなレール。この人だ!という確信めいたものはないけれど、40歳という子どもを産めるギリギリの年齢で、妥協とのバランスを取るのも仕方ないと思っていたところに、心から尊敬し、高め合い、燃えるような相手が飛び込んで来たら、当然迷うけれど、後者を選ぶと僕も思う。選ばないと一生後悔する。後悔を引きずったまま婚約者とそのまま結婚すればいつか破綻するだろう。

 

そしてとてつもない喪失感に襲われたのが第六章「消失点」。すべての展開が悲劇的に連鎖し、途方もなくどうしようもない感情になる。

 

蒔野の恩師が倒れなければ、タクシーに携帯を置き忘れなかったら、マネージャー三谷の携帯番号を思い出さなければ、蒔野が三谷に暗証番号さえ教えるほど信用しなかったら、三谷が嫉妬に狂い悪魔のメールを洋子に送信しなければ、三谷が携帯を水溜りに落とさなかったら、蒔野が三谷の携帯を借りて打ったメールを三谷に見せなければ、洋子がメールの内容を不審に思っていたら、あの内容を蒔野に追求せぬまま受け入れなければ──。

 

無数と言っていい「たられば」。すべて悲劇の方に向かっていった運命だった。二人はどちらも相手にフラれたと勘違いし、絶望したのだ。読んでるこっちが感情移入して胸が張り裂けそうになった。

 

洋子は絶望に暮れ、元々の婚約者と結婚。蒔野はそれを知って絶望する。惹かれあい、一緒になるはずだった二人の運命は、三谷の心の奥底から湧き上がった惨めさと嫉妬による悪魔の成りすましメールにより、完全に引き裂かれてしまった。

 

やはりどうしても、三谷を許すことはできない。たとえその後いかに献身的に蒔野や恩師の世話に尽くしたとして、そしてそんな三谷を蒔野は愛したとして、それは一つの悪の真実を闇に隠した上での仮の現実だ。三谷が洋子に送ったメールを蒔野が知っていれば、蒔野と三谷が結婚する未来は絶対になかった。

 

だからここからは続きが気になって一気に読み終えた。

どういう結末が待っているんだろう。「過去は変えられる」という言葉で、洋子の気持ちを理解して救い上げた蒔野。この結ばれなかった過去も、未来は変えるんだろうか。「あんなことがあったけど、それすらも思い出にして今が幸せだといえる」ような、蒔野と洋子が一緒に暮らす未来があるんだろうか。そういって読み進めていった。

 

二人はそれぞれ別々の道を歩んでいっても、ずっと相手を深く愛していた。

 

最後に蒔野が洋子と再会する直前に断片的に思い返した一節が印象的だ。

 

「・・・天使よ!私たちには、まだ知られていない広場が、どこかにあるのではないでしょうか?そこでは、この世界では遂に、愛という曲芸に成功することのなかった二人が、・・・彼らは、きっともう失敗しないでしょう、・・・再び静けさを取り戻した敷物の上に立って、今や真の微笑みを浮かべる、その恋人たち・・・」

 

かつて洋子は蒔野の告白に応じて、婚約者との結婚を破棄した。蒔野は三谷との間に子供が産まれ、妻も子も愛しているが、洋子との遂にの再会で、その生活は変わるかもしれない。きっと変わるんだろうと思う。三谷も別れを覚悟しているかもしれない。それも仕方ないと思うのかもしれない。完全に消し去ることはできなくても、罪悪感を薄めさせるには蒔野と洋子が結ばれるしかないのだろうと思う。

 

二人のその後は描かれず、物語はそこで終了する。

しかし「過去は変えられる」という、本作で繰り返し出てきたこの最も印象的な言葉が、蒔野と洋子のその後を語るには、十分のように思う。