邦画

映画『マチネの終わりに』ネタバレ感想 引き裂かれた運命の過去を、未来は変えてくれるのか。

『アナと雪の女王2』の公開日である2019年11月22日(金)は、朝から公開を待ち侘びていたディズニーファンで溢れていたが、その列を僕は一人で『マチネの終わりに』を観てきた。『マチネの終わりに』が公開された11月1日(金)からちょうど三週間。朝一だったこともあり鑑客はそれほど多くなかった。

 

おそらく原作を読まなければ、僕も観にきていなかっただろう。そしてその小説も友人がツイッターで紹介していなければ読まなかっただろう。だけど一週間前に読み終えたその小説があまりにも名作だったこともあった。そしてどうしても映画館で観たくなってしまった。映画の言葉を借りるなら、『マチネの終わりに』が僕の人生を貫通したのだ。

 

あらすじ

世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史は、公演の後、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子に出会う。ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた。
出会った瞬間から、強く惹かれ合い、心を通わせた二人。洋子には婚約者がいることを知りながらも、高まる想いを抑えきれない蒔野は、洋子への愛を告げる。
しかし、それぞれをとりまく目まぐるしい現実に向き合う中で、蒔野と洋子の間に思わぬ障害が生じ、二人の想いは決定的にすれ違ってしまう。
互いへの感情を心の底にしまったまま、別々の道を歩む二人が辿り着いた、愛の結末とは―

 

「マチネ」というのは、「午後の演奏会」のことだ。この作品は美しいクラシックギターの音色が心に響いてくる。

 

出典:『マチネの終わりに』公式HP

 

出典:『マチネの終わりに』公式HP

 

天才ギタリスト蒔野聡史(まきのさとし)役を福山雅治、国際ジャーナリスト小峰洋子(こみねようこ)役を石田ゆり子。今回この二人が初共演というのも驚き。

僕は先にキャストを知った上で原作を読んだから二人をイメージしていたこともあるが、実際に映画を観てみて二人の感情の機微を繊細に表現した福山と石田ゆり子の演技には脱帽せざるを得ない。

 

出典:『マチネの終わりに』公式HP

 

さらに蒔野のマネージャーである三谷早苗(みたにさなえ)を演じた桜井ユキの名演は印象的。二人の運命を裂いた嫉妬心やその醜さ、惨めさを見事に演じていた。

 

予告

映画『マチネの終わりに』予告【11月1日(金)公開】

 

これまで原作を読んでから映画を観るということがあまりなく、あらすじすら見ないで観たりするので、ここまでストーリーがわかりきっている映画を観るのが個人的には珍しかった。

 

でもストーリーがわかりきっているのに、『マチネの終わりに』を観ながら何度も号泣したのだ。終始哀愁を帯びたこの作品は、クラシックギターの優しく美しい音色とともに何度も心を打ってくる。泣かずにはいられない。エンドロールでずっと泣いていた。すすり泣く声が周りからも聞こえてきた。

▼ネタバレなし鑑賞後ツイート

 

 

以下、ネタバレなので注意。

ストーリーを辿りながら振り返っていきたい。

 

 

 

 

 

「未来は常に過去を変えている」

まずさっそく冒頭で泣きそうになった(基本的に涙腺が脆い)。洋子(石田ゆり子)が蒔野の復活コンサートを見にいく為に走っていくシーン。平らな石を見かけて長崎の実家の庭石の記憶に重ねる。それは蒔野と出会った夜の思い出の記憶だ。

 

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

 

この言葉に二人は共鳴したんだ。幼いころによく遊んでいた実家の庭石で、祖母が頭を打って死んだという事実。もう過去と同じように見れなくなってしまった庭石。その話を瞬時に理解して言葉にした蒔野に、洋子も喜びと感心が溢れていた。

 

天才の苦悩

幼いころから天才と称され、また練習の鬼でもあった蒔野は初めて人生で挫折を味わう。「デビュー二十周年記念コンサート」では己の不出来さに過呼吸気味になるほど恐怖を感じ、終演後楽屋から40分出てこれなかった。「ギターを弾くのが嫌になった」とCDもコンサートもすべてキャンセル。

 

フランスで師匠と共演コンサートの際、20歳の若い天才ギタリストに話しかけても「あなたのことは知っています」と褒めるでもなく貶すでもなく、ただただ関心を持たれていないと感じる痛烈な一言をもらう。蒔野は様々な苦悩や不安の深い闇に包まれ、ついに公演中にその手を止めてしまう。

 

「影響力を失ったときに感じる幻滅を、自分だけは無縁だと思っていたのに」と心情を洋子に吐露する。

 

これまで順風満帆のレールの上を突き進んできた天才が味わう挫折というものは、常人のそれとは比較にならないのかもしれない。与えられた才能と、自分自身の努力によりそれを最大に高めた男が、何かをきっかけに失意に陥り、自分よりも二回りも若い才能に見向きもされなくなる現実。その苦しみが常人の僕にもひしひしと伝わってきたのは、福山雅治の名演と素晴らしい演出に因る。

 

引き裂かれた運命

『マチネの終わりに』の一番衝撃的なシーンが、蒔野と洋子が日本で会う予定だった日にマネージャー三谷の取った行動だ。

蒔野の師匠である祖父江が突然倒れたため、病院に駆け付けた蒔野はその途中のタクシーで携帯を落としてしまう。三谷が代わりにそれを取りに行くわけだが、洋子からのLINE通知を見てしまった三谷は、蒔野に教えてもらったパスコードでロックを解除し、二人のやり取りをすべて見てしまう。

 

蒔野に恋焦がれていた三谷は洋子への嫉妬心や、これを見過ごすと二人は完全に結ばれてしまう、その手助けをしてしまうのが自分という耐えがたい未来に気づき、あろうことか蒔野になりすまして洋子に別れのメールを送ってしまう

 

さらに水溜りにその携帯を(わざとではないが)落とし使用不能にしてしまった挙句、代わりに渡した携帯には洋子の番号と偽って自分の会社用携帯の番号を登録する。嘘に嘘を重ねていく。蒔野の連絡は洋子に届かない。ここで運命は引き裂かれてしまう。

 

三谷はすぐに自分の愚かな行動を恥じた。自責の念に侵され泣いていた。完全な悪の感情だとああはならない。そもそも本来だったらすぐに二人にバレる話だ。

 

パリからはるばる日本にやってきて、長崎の実家に挨拶に行く約束もしていて、直前に今夜会うことや迎えにいく連絡を取り合っていた相手が、急に手のひらを返したように「別れ」を言い出すなんてことは到底考えられない。疑うのが当然だ。だけど洋子は蒔野からのその後の連絡を拒否してしまった。

 

一つに、洋子の心には蒔野とこれまで三回しか会っていないことによる不安があった。相手のことを深く知らない事実が弱気な気持ちにさせた。またこのとき洋子はパリでのテロの経験から重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていた。ホテルでのエレベーターでテロの記憶が鮮明にフラッシュバックした。

こうした心的要因、そして洋子は蒔野を愛していたからこそ、蒔野の別れの決断を受け入れるべきだという思考に至ってしまった。

 

運命とはなぜこうも皮肉なのだろう。祖父江が倒れなければ、蒔野が携帯を落とさなければ、それを三谷が取りにいかなければ…。幾多の理由で運命は引き裂かれたけれど、しかしこうも不運が重なってしまうと二人は結ばれない方が運命なのか…?とさえ思えてきてしまう。

 

円満な蒔野の家庭、離婚した洋子

その後、蒔野は三谷と結婚し、娘(優希)が生まれる。献身的な三谷に支えられ家庭は円満だった。それに対して洋子は、夫であるリチャードが対外的にはうまくいっているように見せていたが、夫婦関係は冷え切っていた。

 

その後洋子はリチャードに浮気され、離婚する。浮気して再婚した相手が自分の娘を連れていかれるというのは、どういう感情になるのだろう。洋子は気丈にふるまっていたけれど、深い悲しみと悔しさがあったのだと思う。

 

三谷の真実の告白

三谷にとって想定外だったのは、蒔野が洋子と別れた後ギターの演奏をやめてしまったことだ。洋子との別れが蒔野のギターを完全にストップさせたのだとしたら、それは疑いようもなく自分のせいなのだ。過去の過ちが棘のように胸をチクチクと、時に深く刺してきたことだろう。

 

三谷はニューヨークの洋子を訪れ、真実を告白する。しかし「正しく生きることが、わたしの人生の目的じゃないんです。わたしの人生の目的は、蒔野なんです!」という言葉は、もはや言い訳にしか聞こえない。同様の内容を蒔野にはメールで連絡していた。

 

真相を知ったあとの蒔野と洋子の心境を想像すれば胸が張り裂ける思いだ。福山雅治と石田ゆり子のどうしようもない、運命を嘆くような叫びの涙には泣かずにはいられなかった。

 

洋子は、真実の告白を受けても怒らず、「それであなたは幸せなの?」と尋ねた。「はい。すごく幸せです」と涙ながらに答えた三谷に「あなたの幸せを大事にしなさい」と穏やかな口調でそう言った。

 

三谷の行動を許せるだろうか。僕だったらできない。怒って、嘆いて、変えられた運命を呪い、すべての感情をぶつけるだろうと思う。たとえ蒔野と三谷の間に子どもがいても、その関係を壊してしまいたいと思うかもしれない。本来蒔野の隣にいたのは自分だったのだから。

 

蒔野も洋子も、三谷の告白を受けても毅然としていて、その裏でひとり苦しんだのだ。二人は相手を気遣う優しさをもっていた。それが自分たちの運命を狂わせた相手であっても。

 

三谷の心境の変化

しかしここは小説と異なるのだけど、映画での三谷は完全に悪女となるわけではない。「正しく生きることが、わたしの人生の目的じゃないんです。わたしの人生の目的は、蒔野なんです!」と語りながらも意地でも蒔野と一緒にいる道を選ぶわけではなく、別れも厭わないような素振りを見せる。

 

「花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない」という言葉が印象的だ(これは小説では蒔野のセリフにある)。

真実を語ったことで、もう三谷は蒔野がこれまでと同様に自分を見れなくなっていることをわかっている。それも覚悟していたはずだ。

 

最後にコンサートに向かう蒔野に対しても、「私のことは気にしないで、好きにしてきて」と意味深に言う。洋子に対してはコンサートにきてほしいと言っていたので(断られてはいるが)、二人が会うことも想定しているだろう。

 

一度は自分が引き裂いてしまった運命を、元に戻そうとしているのかもしれない。それが蒔野のためだと思ったのかもしれない。そういった意味では、三谷は最後まで蒔野に尽くしたのだ。

マチネの終わりに

蒔野の復活コンサートは成功を収め、二階席の奥に洋子の姿を見た蒔野は、マチネの終わりに「幸福の硬貨」のテーマ曲を演奏する。「あなたのために」という特別な曲を弾きますという言葉は、洋子に向けて放たれていた。洋子は美しい涙を流していた。

 

そして二人はマチネの終わりに、近くの公園の池のほとりで、ついに再開する。洋子の微笑みにすべてが詰まっていた気がした。別々の道を歩んできた二人は何を語るのだろう。そういった想像を巡らせるところで物語は幕を下ろす。

 

小説でも再会のタイミングで終了するので、もしかしたら映画はその先が描かれるかもしれないと思ったが、そこは変わらなかった。それがいい。この再開によって過去は変えられるはずだ。

 

エンドロールの終わりに

美しいサウンドが流れるエンドロールが終わり、最後に映し出される画は「幸福の硬貨」の手のひらに硬貨を載せているものだった。

パリでのテロで連絡が取れなくなった洋子に対して、蒔野は「幸福の硬貨」の続きの話がしたいとメールを送った。二人は結局続きを話せないままだったけれど、その話をして微笑んでいるのかもしれない。

 

笑顔で話している蒔野と洋子の画が自然と思い浮かぶ。

 

原作との違い

さて、映画は原作と細かく、或いは大胆に設定を変えているところがあった。本筋は変わっていないので違和感なく見ることができるが、気になった点を挙げていく。

 

テロがバグダッドではなくパリ

小説では洋子は治安の悪いイラクのバグダッドで戦争やテロを経験するのだが、映画ではフランスパリでのテロに変わっている。

フィリップの死

フィリップはとても優秀な上司であり、洋子が結婚や就職など人生の岐路に立っているときに適切なアドバイスをくれる良き理解者でもあった。小説ではイラクの支局長をしていて、物語後半では離婚した洋子に恋心を示すような素振りもあったが、映画ではまさかの登場してすぐにテロに巻き込まれて死亡してしまう。これはなかなか衝撃的な設定変更だった。

 

「長い長いメール」でなくスカイプで安否を伝える

小説では、洋子はテロのあとに蒔野からの無事を祈る再三のメールに対し軽い気持ちで返信ができず、一か月半の後に「長い長いメール」を送る。この「長い長いメール」というのが印象的だったので、それが映画ではスカイプで直接やり取りに変わっていたことに驚きはあった。

 

また洋子が近くの工事の音に敏感に反応して怯える様子から、PTSDというのが伺えるようになっている(小説版では隠している)。

さらにいえば蒔野の「しじみの話」はパリで会った時に直接話すのが小説なのだけど、映画ではこのタイミングで洋子を元気づけるために話していた。

 

蒔野が料理が得意

小説版ではパンをトーストにかける時間もいつも適当で怒られ早苗に呆れられるレベルだったが、映画では洋子とジャリーラのためにとびきりの夕食を準備してあげ、洋子が日本に来る日も手の込んだ料理を振る舞おうとしていた。

 

イェルコ・ソリッチの死

小説では洋子は父であるイェルコ・ソリッチと時々会っているが、映画では故人として語られていた(洋子が死んだこともあとで聞かされたし、と母と会話で言っていたように思う)。それにそもそも洋子はイェルコと血は繋がっていないと冒頭で言っていたが、小説ではちゃんと血は繋がった親子だ。

 

また、洋子は両親が分かれた理由(イェルコの作品が政治的に利用され命を狙われていたから)を小説ではイェルコ本人から聞かされるが、映画では亡くなっているため母から聞かされる。

三谷の自らの告白

真実を語る場面で小説では三谷は洋子にコンサートにこないでほしいと言うが、映画では来てほしいと真逆の展開になっている。

真実を語るのも洋子が三谷の言葉から察し、「あなたがあのメールを打ったのね」という指摘からすべてを語るので、小説では三谷は受け身だ。

その後三谷は離婚も厭わないような言動をしていくので、心境の変化は小説と映画では大きな違いだろう。

 

祖父江の死、武知の登場なし

小説では武知文昭(たけちふみあき)という旧知のギタリストとのデュオで長い空白期間から復活する蒔野だが、映画では登場しない。

また武知は事故死(真相はおそらく自殺)するのだが、三谷はそれを受けて「あんな善良な人がこんなにも早く生を取り上げられてしまうのに、自分は何事もなく平穏な生を許されている。自分はあんなに酷い罪を犯したのに」と自責の念に駆られ、真実を蒔野に告白するきっかけとなる。

 

映画では武知の代わりに祖父江が死ぬことになり、その追悼企画で蒔野は復活する。

 

細かい設定の変化は他にもあると思うけれど、特に気になったのは上記の部分だ。また見たい作品なので、都度追記できればと思う。