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『(500)日のサマー』ネタバレ感想 結ばれない恋と運命と偶然

こんにちは、さいちゃん(@saichans_b)です。

タイトルのサマーはこの物語に出てくる女性の名前。その女性に一目惚れしたトム。二人の「最低で最高な500日」を描いた物語。2009年に公開されたこの作品は10周年ということでツイッターのタイムラインでも話題になっていました。

トムに感情移入した人、サマーに共感した人、どちらの気持ちもなぜか自分のことのようにわかると思った人、それぞれいると思う。ただ俯瞰してこの物語を見ていると、トムの気持ちもサマーの気持ちもわかりやすすぎるくらいわかりやすい。

映画の冒頭でナレーションがこう語る。「この映画はフィクションであり、登場する人物、団体、云々……。特に○○さんとは無関係です。クソ女め!(Bitch!)」と。

これは脚本家が現実の誰かにサマーを重ねて吐いたセリフ(なのだろう)。ビッチが出てくる映画なのかそうなのか、と先入観さえ抱かせる冒頭なのだけど、そうはならない。

いやそうなる人も大勢いるだろう。でも僕はそうならなかった。だってサマーはビッチではないから。もしトムに自分を重ねた人はサマーをビッチと捉えるかもしれない。確かにサマーは男に勘違いさせるようなことをしたと思う。でも違う、サマーは恋に臆病で、真面目で、傷つきたくない、繊細な心を持ったただの普通の女の子だった。

だからこの映画を観て、サマーはビッチだと言う感想を呟く人を僕は悲しくなった。違うのになぁと。そんなに言わないでくれよと。サマーへの思いやりも必要だから。トムの心中はとてもとてもお察しするけどね。

さて、あらすじはまぁそんなところで、ネタバレして書いていくのでご注意ください。ここから先は映画を観てからの方が楽しめるので、観たことない人はぜひ観てからまたきてほしい。

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簡単にいうとつまりトムはサマーに恋をして、運命的な人だと思い込んで、振られて絶望していくんです。んん、わかるよトム。君の気持ちもよくわかる。

予告

500日のサマー 予告編

 

500日のサマー感想

この映画の面白いところは、トムとサマーの二人の500日の日々を時系列に沿ってではなく、シャッフルして見せてくるところ

二人はこうして出会って、付き合って、デートをしてキスをして、セックスして、順調で、でも喧嘩をして、別れて、絶望して、そういう順序立てたストーリーではなく。最初から別れた記憶がぶち込まれる。かと思えばサマーと出会った頃の思い出やセックスをして天にも登るような幸福の記憶も交互に映し出されて、結末はわかっているのにどのような展開でストーリーを見せてくるのか、と期待値が高まる。

 

運命を信じていたトムと、信じていなかったサマー

トムには同情すべき点が多々ある。トムとサマーの最初に会話はエレベーターの中だ。音楽を聴いているトムにサマーは「わたしもザ・スミス」が好きと声をかけられる。美人にエレベーターの中で声をかけられる奇跡は人生でそうそう起きない。しかもそれが一目惚れしていた女性だとなったら尚更だ。

会社のパーティーでサマーはトムに自分のことをどう思っているか問う。好きだと答えるトム。気持ちを伝える勇気がなく、友人としてだと言うトム。その返答に対し「それだけ?(それ以上の気持ちは?)」と詰めるサマー。はいここ。このやりとりと二人を包む空気はサマーが自分に気があるのではないかとトムが思うには十分

そして翌日のコピー室での唐突なキス。もうメロメロになってしまうのも仕方ない。

 

二人は親密になっていくけれど、サマーはトムの目を見てはっきりと言う。「真剣に付き合う気はない」と。そしてトムはそこで「そうだね、気軽に付き合おう」と妥協するのだ。最初から友人と恋人の間に線を引き、割り切って接していたサマーと、そう言いながらも寄り添っていくうちに心を通わせていくことに賭けていたトム。

 

トムはサマーとの関係を問われた友人たちに言う。レッテルのない関係がいいんだと、それが大人の恋愛だと言わんばかりに。だけどある日、サマーとの関係に名前をつけられずモヤモヤしたトムは結局はっきりさせたくてサマーに迫る。「僕らは友だちじゃないだろ。コピールームでキス?イケアで手を繋ぐ?シャワーセックス?」これのどこが友だちなのかと。恋人じゃないかと。納得がいかないと。

 

それは言っちゃいけなかった。サマーは最初から「真剣に付き合う気持ちはない」と言っていたのに。気軽な関係でいようとトムも言ったはずなのに。関係は確かによくなっていた。友人以上恋人未満、恋人にはなりきれないけれど、でも少なくともトムはサマーの心の近いところまで行っていた。実際にトムはサマーの部屋に招かれ、ベッドの上で心の内側を吐露するように語ったあとに「こんなことを言うのは初めて」と特別感を抱くセリフをもらう。

 

だけどあくまでサマーにとってトムは友人で、恋人にならない線上で接していたのだ。「友人」から昇格した関係の行き着く先は「親友」だった。もう合わないことを告げた時、別れ際に「私たちはまだ親友でしょ」と告げるセリフが全てだ。(トムはおそらく、サマーの部屋に招かれたことを機に付き合っていると錯覚するのだけれど、実際は付き合ってなどいない)

 

トムは納得いかないだろう。その気持ちもよくわかる。やさぐれた心が「サマーはビッチだ」と結論づける気持ちも、この映画を見てそう感じた人の気持ちも、まぁわからんでもない。でも違う。トムは自分が傷ついたと思っているし、自分に心底同情しているけれど、最後までサマーを思いやれなかったトムが結局悪いのだ。

 

理解しようとする気持ちが欠けていたトム

ねぇ、そうだろうトム。自分の理想や運命をサマーに押し付けようとしていたこと、サマーはそれで傷つけられていたこと、君は気づかなかっただろう。アリソンとのデートではひたすらサマーへの愚痴をこぼしていた。初対面の女性に別れた(と思っている)女性の話をずっとするのは礼儀が甚だしく欠けているし、トムはサマーの悪口ばかりで一度も自分の非を言わなかった。気づいていないのだ。サマーの心に近づきながらも、心を感じられなかったトムは何をやってもサマーの結婚線上に乗らないだろう。

 

さて、物語の終盤なんと呆気なくサマーは結婚してしまう。「恋はしない」と語っていたサマーに、理解できない!と憤慨したくなるトムの心もわかる。

確かに、サマーは恋に臆病で、傷つきたくないから恋や運命を信じられない考えだった。でも人の心は繊細で、意外すぎるくらい単純に変わってしまうもの。そして恋も運命も、会うべく人に出会ってしまったらそんな考えも呆気なく変わってしまうものなのだろう。

サマーがトムに言ったセリフが好きだ。

「私はデリで『ドリアン・グレイの肖像』を読んでた。男がやってきて小説について聞いたの。それが今の夫。私が映画に行ってたら?もし別の店に行ってランチを食べてたら?デリに行くのが10分遅れてたら?つまりー会うべくして出会ったのよ、そう思ってるわ」

ここで、「会うべくして出会った、それは僕らもじゃないのか」というセリフがトムの頭をよぎったはずだけど、間髪入れずして「私たちは運命じゃなかった」と言うサマー。

サマーは最初から最後まであくまではっきりしていた。トムにとっては曖昧な関係だったかもしれない、でもサマーにとっては友人。でも友人以上の感情をトムには抱いていたんだから、はっきり好きだと思っていたのは間違いないから、トムはその気持ちをわかってあげてほしいと思う。好きだけど付き合うという関係ではない、そんな関係は世界中にたくさん溢れてる。

 

トムは納得できていないかもしれない。でも最後にトムはサマーに言うんです。「幸せを祈ってるよ」と。トムは変わる。大丈夫、きっとこれから前に歩き出せる。

トムは面接会場で”オータム”と出会い、直感と勇気でコーヒーに誘う。夏が過ぎ去って秋がやってくる。こんな偶然ないよね。偶然がすべてだ、運命などないと確信した彼は、行動に出たんです。がんばれトム、夏に恋をしたことを、秋に生かしてくれることを祈ってる。

 

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